みなさん、こんにちは~^^
今日は少~~し視点を変えて、まだ知られざる韓国の歴史に触れてみることにします^^
大きく(巨)救う(済)という意味をもつ“韓国第2の島”巨済島(コジェド/거제도)。素晴らしい意味を持った街ですね^^
巨済という名前が歴史上に初めて登場したのは、757年のこと。新羅第35代の景徳王(キョンドクワン/경덕왕)16年の記録に“巨済郡(コジェぐん/거제군)”という言葉が出てきます。
その後、周辺との統合で“固自縣(고자현/コジャヒョン)”という名前になったり、お隣の統営郡(トンヨンぐん/통영군、現在の統営市)に統合されたりしながら、1953年・・ついに巨済郡の復郡へ向けての動きが加速しました!!
しかし、郡庁(郡役場)とどこにするかで地域間の葛藤が始まったんです。
特に朝鮮時代から郷校があるなど巨済の中心地的役割を果たしてきた巨済面(コジェミョン/거제면)と、近代文化の発生地であり釜山など陸地との行き来が便利な長承浦(チャンスンポ/장승포)地域が大きく争いました。
この2つの地域のいがみ合いが激しくなる中、意外な地域が漁夫の利で巨済郡庁の場所に決まったんです。
それが現在も巨済市役所や巨済市外バスターミナルがある古県(コヒョン/고현)地域です。(画像引用:NAVER地図、巨済市庁ブログ http://blog.naver.com/geojecity)
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